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マスコミ論

2009年09月19日 00:00

 少し真面目な話をします。今度はかなりきな臭い内容を書きます。今回は「報道・マスコミ」のことについてやりたいと思います。かなり長くなりました、おそらく途中で読むのが嫌になります・・・。

 かなり辛辣なので、追記に移動させました。もう一つ軽めな記事をアップしますので、そちらの方を見てもらっても一切かまいません。







 最近、私はテレビが楽しくないです。自分の嗜好の変化なのかもしれませんが、それを差し引いてもとても褪めたものを見ているように思えてしまうのです。ニュースは真正直に受け取る事はできず、 バラエティはとてもチープな番組ばかり。つまりテレビメディアの姿勢に変調が表れているように感じます。またさらに進んで、現代社会の中心となるメディアの異変と呼んでもいいでしょう。私は問題点をいくつか以下に書いていこうと思います。


●重要問題の差し替え
 日本メディアの風潮として、暗くて重い議題より淡くて軽い議題を好みます。つまり本で表現すると、語弊が生まれるかもしれませんが、難しい活字ばかりの評論本より簡単な言葉の連なりのライトノベルというわけです。
 例えば、今の時期ですと、普通なら民主党政権の掲げたマニフェストに関わることに大幅な時間を割くはずです。しかし、今テレビをつけると酒井容疑者のことや鳩山次期総理の夫人や一家の略歴です。少し前ならG7。会議自体では麻生総理の世界貢献の政策発表での世界的評価。(ただ麻生総理が作ったのかは分かりませんが) しかし何故か日本ではこの話題は小さく、その代わりに中川元財務大臣の酩酊事件を大々的に批判の嵐を加えてました。
 当たり前の事ですが、今回の民主党マニフェストの全ての条項についてしっかりした検証がなされるべきではないでしょうか?それが国民に情報を提供するメディアの責務ですから。ところが、一般的なメディアはここを実証主義的に軽率に扱い、重要でないように視聴者に見せつけます。逆に焦点のずれたものに内容を差し替え、実際にはほとんど情報がないものになってしまっているように感じます。
 ちなみに外国の「良識ある」メディアでは、重要な案件を中心に報道しなければその国に人々は納得しません。論点をずらす事をすれば、簡単に売れなくなります。そこでは人として熟成しているのかもしれませんが、それでも日本の国民には少しでも近づいて欲しいと思います。

 ここから簡単にですが、理由を推測します。
・スポンサー『様』のご意向
・何か無視できない圧力の存在
 おそらくスポンサーが影響を及ぼしているのでしょう。そこの核心までは控えますが、これは日本メディアの特徴ともいえるものですから。もう一つは何か恐ろしいものが存在し、それにやられないため『自由』な報道等な制限されているのはないでしょう。ここは一切ノーコメントでお願いします!(分かる方は分かると思いますので)


●メディアの国民感覚とは?
 こちらがいまだに私の疑問です。果たして国民感覚とはどこを基準にすればいいのでしょう?麻生総理は上級階級ですから、国民感覚はない。それはいいでしょう。だからといって総理大臣に相応しくないというのは理論の飛躍です。(言動は相応しくないと感じる人はいると思いますのは私も承知の上) ここでは国民感覚という議論と総理大臣に国民感覚を持つものが相応しいということを分けて考えるのが妥当だと考えます。

 それでは誰なら国民感覚を持ちえているのでしょう。現代社会で国民感覚を持っている人は私は決めらないと思います。これを決める事はつまりその人が国民感覚を持つ国民の規範となり、その国民感覚が他者に押し付けられてしまうと思われませんか?自由を掲げている国なのですから、それでは個人の思想の自由を奪いかねないことが出来るはずはありません。つまり言語学上はジレンマを抱えていて、定義不可能ということです。しかし、それは机上の空論であって、抽象的には可能なのかもしれません。ただその最大公約数を見つけることにいつになったら到達できるかは甚だ疑問ですが。

 次に総理大臣に国民感覚は要るのかに移ります。国民感覚は良くわかりませんが、私の想像力では共産党議員を推薦すると思います。まあ、すごく曖昧な概念なので内容に合っていないとは思いませんが、合っているとも思えません。私が思うのは総理大臣はシステムの一部に過ぎず、合理化した世界の一つの歯車であると思います。ですので、基本的には日本国民の代表であるだけで、シンボルであるだけなのではないのでしょうか?また国民感覚を持っていれば上手く政治が出来ると思えるようなメディア報道は全く的外れな論拠で、国民一人ひとりの多様性では絶対的に不可能です。十人十色という言葉がありますが、メディアは一億二千人一億二千色の人々全員の幸福を達成することはできるのでしょうと考えているのかもしれません。つまり私が言いたいのはシステムさえ破綻させない人であるのならそれで十分と考えて妥協するしかないという事です。それではダメなのかもしれませんが、結局堂々巡りの繰り返しで解決法は見つからないのです。ただこれを繰り返し考える事でも十分素晴らしいことをしている方だと私と思います。答えのないクイズにあれやこれや試行錯誤している姿を私は羨望のまなざしをするかもしれません。


 私は世論操作が怖いのです。どんな偉人でも犯罪者に、どんな大悪党でも英雄にマスメディアは人々に信じ込ませる事ができます。人々には基本的なこと以外は考える選択肢は複数あっていいはずです!私はいつか十人十色という言葉が違う意味になる事を恐れています。


 ここで私の今回のこの記事は終了です。お読みになった方はご苦労様でした。かなり偏った分析をしているので、気を悪くした方もいらっしゃると思います。その方にはお詫び申し上げます。
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